移動と交流が抑制され、人との距離を守れと促されるコロナ禍が長引くなか、同じ空間をシェアする共生の意味を、台湾と日本のドキュメンタリー映画を通して考察したい。この目的で、映画配信とオンライン・トークの連続事業が企画されました。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2021のオンライン・イベントを皮切りに、2021年11月、12月、2022年1月に台湾と日本のドキュメンタリー映画を配信し、監督同士の対話の場を設けます。台湾国際ドキュメンタリー映画祭 (TIDF) と山形映画祭(YIDFF) というアジアのふたつの映画祭によるコラボです。2022年2月には、アジアのドキュメンタリー制作者が集うアーティスト・イン・レジデンス「山形ドキュメンタリー道場4」でさらに国際交流を深める予定です。
人びとの交流が思想や感情を刺激し、新しい文化や技術の革新を生みだすことは、文明史が証明しています。本プロジェクトでは、台湾と日本のドキュメンタリー映画を通して、ともに集い、感じ、考えることを止めない人びとの営みを見つめます。
1927年に中国河北省で生まれ、幼い時に父親を殺された後は、故郷の村を逃れて各地を転々とした李忠孝(リ・チャンシャオ)。国共内戦では国民党軍に参加し激戦をくぐり抜け、敗戦後は共産党に転身、援軍として送り込まれた朝鮮戦争では捕虜となる。その後、国民党政府が率いる台湾へ渡ってからは一度も故郷に戻っていない。激動の人生を生き抜いた李の過去を、娘である監督が丹念に聴き取り、その記憶を頼りに父の足跡を辿る。口が悪く傍若無人だが、どこか憎めない男の波瀾万丈の回想録。
映画は2人の中国人、中国現代史を生きた馬老人と女性芸術家熊(ション)の東京での暮らしを軸に展開する。老人の出てくるシーンは白黒、ションのシーンはくすんだ赤とそれぞれ単色に染められる。この対立は構造的だ。しかし、人々の関係は、世紀末の東京のように、はかない。撮影班はあらかじめ老人やションのそばに待機している。撮影にいたるまでには多くの時間が費やされただろうが、説明は省かれる。
30歳の男、自己破滅的で不安を抱えている。26歳の友人、カメラを持っている。ゲイでHIV感染者の友人の内面世界を撮っているはずが、カメラに映るのはふたりの濃厚な心理戦。本音と演技の境界を曖昧に、被写体であることと戯れる男は、監督を嘲笑し挑発する。撮る人と撮られる人の真剣勝負が、感情もろともに露わとなる。
20年前、因縁のドキュメンタリー『ハイウェイで泳ぐ』で四つに組んだ被写体を訪ねるため、嘉義県へ車を走らせる。カメラマンを同行させ、尾崎豊のCDを手土産に、長年ぶりの再会を果たすが、途中からその目的がわからなくなる。かつての友人を撮影する振る舞いを通して、自らの20年と向きあい、わだかまりと折り合いをつけられるのか。過去と現在の映像を織り交ぜ、何故撮るのかという本質的な問いと格闘する。
シングル・ファーザーにとって、自閉症の30歳の息子との毎日は、まるで押し上げた重石が転がり落ちる日々の繰り返し。仕事と家事に追われながら、彼と向き合う時間に目を凝らす。
余命幾ばくもない母と高齢の祖母とある小さな田舎の町で暮らす監督。澄んだカメラアイが写し出す母の闘病風景、すぐ隣に住む兄家族たちとの何気ない日々の交歓。散りばめられた母の姿を通して、母への愛情と家族の温もりが穏やかにゆっくりと醸造されてゆく。あまりに現実すぎる肉親の死と向き合い、生と死を見つめ、泡沫の時を映像に綴じこめる。じんわりと伝わってくるその感触。やがて、天使が舞い降り、私たちを見つめている。